その後パソコンソフトウエアの卸売事業は軌道に乗り、1994年、ソフトバンクは上場しました。そして次に狙ったのは、アメリカ進出です。当時、アメリカではインターネットのビジネスが始まったばかりでした。私は「インターネットこそが、これからの情報革命の中心になる」と確信しました。そこで、インターネットの世界へ飛び込むための「宝探し」を始めました。「宝探し」に必要なものは何か? それは「地図」と「コンパス」だと考えた私は、「地図」にあたる世界最大のパソコン関連の出版社であるジフ・デービスを2,300億円で、「コンパス」にあたる世界最大の展示会であるコムデックスを800億円で、それぞれ買収しました。上場を果たしたとはいえ、この当時のソフトバンクの時価総額が約2,700億円であったことから、またしても全財産を賭けた「挑戦」になりました。しかしこの「地図」と「コンパス」の中から見いだすことができたのが、アメリカのYahoo! Inc.だったのです。
1996年当時のYahoo! Inc.は、まだ社員が5、6人、売上が月1,000万円で、毎月赤字の小さな会社でした。しかし、そこに100億円もの巨額を投資し、さらにこの投資の翌月には、日本でYahoo! Japanを立ち上げました。これが日本において、インターネットが本格的に普及するきっかけとなったと自負しております。
ところがここで問題に突き当たりました。それは日本のインターネットは速度が遅い、料金が高いという問題でした。当時、日本の通信はNTTが事実上100%独占していました。「このままではインターネットの世界で日本が取り残されてしまう」と危機感を持った私は、政府に対し規制緩和を訴える一方、2001年に自らの手で高速インターネット接続サービス「Yahoo! BB」を開始しました。ここに巨大企業NTTへの「挑戦」が始まったのです。
「Yahoo! BB」は、資金も経験も技術もなく、大変困難なスタートとなりました。サービス開始直後、申し込みが殺到しなかなか開通することができず、お客さまから多くの苦情をいただきました。NTT局舎での工事も難航し、さらには毎年1,000億円規模の赤字を出しながらのぎりぎりの「挑戦」でした。しかしその結果、日本のブロードバンドは世界で最も速く、最も安くなり、インターネットの普及に貢献することができました。