30代の最後のとき、いわゆるインターネットバブルで株価がすごい勢いで上がっていきました。でも、「お金はどうでもいい。もっと人に喜んでもらえることをしよう」、そう思い、当時先進国で世界一価格が高くて、スピードが遅いと言われていた日本のインターネットをなんとかしようと、ブロードバンド・インフラ事業に乗り出す決意をしました。
ところが直後にインターネットバブルが崩壊。わずか1年間で、ソフトバンクの株式価値は約100分の1にまで落ちました。世間では、ネット事業をしていることが、詐欺師のように扱われるようになってしまったのです。
どん底でした。お金もなくなってしまいました。しかしそんな時だからこそ、「自分は何のために生まれてきたのか。なんのために『志』を立てたのか。デジタル情報革命に人生を捧げたのだから、ここでひるむわけにはいかない!」、そう思いました。
「ここでもうひと勝負する!名もいらない。金もいらない。地位も名誉もいらない。ソフトバンクがなくなっても、日本国民が最終的に全部インターネットユーザになって、いつの日か、日本国民が喜んでくれればそれでいいじゃないか」
結果、日本のブロードバンドは世界一安く、世界一高速になりました。
そのくらいの覚悟がなければ、事は成せないのです。
ブロードバンド・インフラ事業でようやく利益が出るようになり、インターネットバブル崩壊で負った傷が少し癒えたころ、もう一回大きな勝負に出ました。ボーダフォン日本法人の買収です。19歳のときに立てた「人生50カ年計画」の中で、事業家として40代の時に勝負すると決めていました。このとき私は、48歳でした。40代の最初にブロードバンドで勝負しましたが、まだ足りない。やはりモバイルインターネットの世界を実現しなければならない。一時2,000億円まで落ち込んだ時価総額は、2兆円まで持ち直していましたが、そのすべてを賭け、勝負に出ました。
当時、番号ポータビリティ制度が始まる直前で、ボーダフォンは“草刈場”になると言われていました。そのとき4つの弱点があり、「端末」「ネットワーク」「コンテンツ」「ブランド力」の問題を、解決しなければなりませんでした。これらの問題を解決しながら、シンプルな料金プラン「ホワイトプラン」や、CMで好評をいただいている「白戸家」など、いろいろ取り組んでまいりました。そこに「iPhone™」が登場し、ソフトバンクはどんどん伸びていくことができました。大きな買収劇となりましたが、今では順調に利益を出せるようになりました。
今後は純有利子負債を完済し、私の50代で、ビジネスモデルを完成させます。